
「12月に起こして、1月に知る、2月から3ヶ月の迷い。次の年終われば再生の年となり、次の年が新しい年。」
このように意味深な書き方をする心配の想像をしませんか?
日々戦争や悲惨な事件や死はあるものです。身近に「死」を感じたとき人は自分を嘆くものです。
未来の言葉を聞いて共通するのが以下のような言葉が抜けているのです。
「これは、はずれるかもしれない、こうはならない」さらには
「心配するな。なんとかなる。(一休さんより)」
未来は刻々と変化をしているものです。
人類はかなりの自由を与えられています。人間のエネルギーと磁場の「総和」は無限に等しい、ブラックホールのように感じます。
また、大きな流れ以外は自分のできる努力で未来はどうにでもなるように感じます。
ここで、「心配」と「悩み」についての区別します。
「心配」は「今」の時間を心配で潰してます。
「悩み」は問題を解決しようと行動に向かわせる。「今」をいきることになります。
心配は解決しませんが、悩みは解決でいます。
心配が必要ないように思いますが、心配と悩みを区別できることがわかることも大切なので心配も必要なことのように思います。
未来に対して「悩む」ことは未来の戦争や核兵器戦争等々の抑止力に成ります。
逆に言えば悩みがなければ、「人間は全てのことになんとかなるさ〜」で物事が進みます。そうすると努力もせず欲のままにお酒や薬に依存していくことになるでしょう。
お腹が減ったと言う悩みがあるから狩をしたり、現代では仕事ができるのです。
ここから私の妄想ですが、日本も諸外国もコロナやデモなどや
金銭や人間関係・子供の進学・仕事の先行き・恋愛などで「そう成らないために」みなさん悩んでいるのです。
進学の悩みがなかったら勉強なんてしなくないでしょうか?
静観してみますと「みな、いい役者」に思います。悩みの中に「完全に成りきっている」そして、真面目に「今」を生きています。
あなたにちょうどいい「悩み」が目の前に現れるものです。
あまり心配せずに「今」の悩みに感謝して自分のできる努力をしていけばいいのです。
宇宙にも人間にも決まっていることはあります。大きな流れや方向性は決まっています。人間の死は必ず訪れる流れの一つであります。あとは、家族等も選ぶこともできない流れの中です。
反対に友達や恋人や仕事は自由に選べます。
その「流れ」の中で自由に泳ぐために、魂は受肉しています。
人間は悩んで災難を乗り越えたり、幸福に成りたいと思うものです。
そのために「今」しかない今を無駄にせず、感謝して悩めばいいのです。
そうすれば、未来が「幸福に成ります。」
私たちの本性はもっと自由であります。(肉体的自由はありません)
イエスや釈尊や僧侶をはじめ解脱した人たちは、人間の肉体に戻るのを嫌がります。その理由はこの世よりあの世の方が幸せに感じてしまうからです。しかし、肉体的に戻され「死」をも凌駕し、この世の仕事に精を出し皆に分け与え、最後はあの世へ戻っていきます。
閑話休題
貴重な「今」は今しかないので感謝しながら貴重な肉体的時間を「悩み」正当な努力をしていきましょう。と言う妄想でした。
生かしていただいて有難う御座位ます