
今日の妄想は色気の話です。身近の大切な人や恋人や夫婦仲で少しでも幸せになれば幸いです。
私は学生の頃、恋愛をほとんどしてきませんでした。
好きと言う感情があまりわからない「無性愛者(あまり人が好きにはならないもしくは好きにならい人)」でした。
自慢話に聞こえるかもしれませんが、何度か異性から「好きです」と言われました。
学園祭後ピロティーでラブコールがありましたが、
好きの基準がわからないため付き合うと言うことが、
大学生までよくわからなかったので丁重にお断りをしていました。
そんな学生生活の中で好きになると言う感情がわかる機会がありました。
大学時代にアルバイトをして知り合った人好きになったのです。
その人に「好きです」と言ったら、相手から「私もです」と言われ、交際がスタートしました。そんな交際も3年が過ぎた頃徐々にお互いイライラするが増え好きと言う感情はなくなり、お互い別れる決断をしました。
そこから、何か違和感が起き自分の中で「愛」と「好き」の違いに研究をしました。
主に「愛」と「好き」の違いは以下のようです。
- 愛してるは唯一の存在、好きは代替え可能
- 愛してるは相手に尽くすこと、好きは自分の欲求を満たすこと
- 愛しているは信用すること、好きは疑うこと
- 愛してるは想いやること、好きは相手を想うこと
医学的に証明されているのは、好きは3年で終わります。ドーパミンがそれ以上は摂取できずにときめく「恋心」はなく成ります。
3年目以上は愛情「ホルモン・オキシトシン」が多く分泌されていると長続きします。
あの学生ころの恋を思いますと「好き」と言う感情はありましたが、お互いにいるのがアタリマエでした。あなたがいてくれて「ありがとね。」と言う感情にはならなかったのです。
情にはなれど愛にはならなかった。「愛情」にはならなかったのです。
私も女色いわゆる他の人の美人な人の肉体的を欲するようになりました。
都心部にいき、クラブや合コンやキャバクラや夜の店にお酒と女に明け暮れ朝になることがありました。
埋められない空虚感はあるものの何かを探して旅に出ていたのです。

皆「愛」を求めていることに氣がついてきます。本当の自分を見てもらいたい欲求です。
認められない何かがあり、肉体的に埋めて寂しさを感じていることがわかってくるのでした。
そんなことを思いながら過ごしているうちに私は飽き性なので、夜の町よりも自分の目の前にいる人たちに目を向け、感謝するようになっていきます。
それを教えてくれた多くの人は今も感謝しています。
以上のことがなかったら自分は「愛」をわからなかったのでしょう。私はそこから人に自分の「愛」を振る舞うようになりました。
そのかいもあり、家族や友人や数多くの出会いが日常に溢れています。
今は多くの「愛」が周りに溢れています。
まずは自分から「愛」を振る舞うと自分も「愛」されるものです。

これは、喧嘩している仲の悪い夫婦にもいるのではないでしょうか?
いてくれるのが当たり前であり、奥さんが家事をやってくれるのが当たり前、旦那が働いて稼いでくれるのが当たり前。アタリマエは愛をなくしていくものです。
そんなアタリマエは感謝の気持ちもなくなっていくものです。
勇気を持って一言「ありがとね」と自分から「感謝」を振るうことで好転していきます。

日本は言霊の国であります。日本語がわかりやすく書いてある。
片想い→恋慕う→恋人→愛情となっていきます。この恋路を恋愛と呼びます。
愛までの過程が大切だと言うことがわかります。

2500年前の哲学者ソクラテスは、
肉体→精神→一部は全部、全部は一部→無が「愛」の順番だと言っています。
肉体的に好きになるのもいいことなのです。
大体うまくいっていないのは、恋着の状態です。
自分が「好き」に固着しています。
あなたの好きではなく「愛」に固着してみると別れがあってもそれすらも優しい目で静観できるものです。
これを突き詰めていくとこの世界に優しく微笑んでいます。
やることはいつも同じです。「感謝」をすることです。
生かしていただいて有難う御座います。