デジタル化してロボット型人間なっても、いつでも
「ゲート」は開いています。
よくスピリチュアルの世界では、
何日までに「ゲートが閉まる」とか「目覚めの期間は、後少しだ」とか
煽って、信じては見たけど、延期しました。とか
やっぱり嘘だったんだ。と思ったことはありませんか?
確かに「ゲートが閉まる」とか目覚めやすい期間はありますが、
完全にゲートが閉まることはありません。
少しだけ、狭き門になったり、大きく開いていたりしています。
考えても見てください。葉っぱ一つあれば、
「ありがたみ」を感じることができるのが人間であり、
なんだ「葉っぱ」かと感じるのが人間です。
「ゲートの開閉」とは、そんなものです。
もしゲートが閉まったのであれば、
葉っぱが無くなるということです。いわゆる人類が滅びることになります。
人類が生きている間は「ゲート」が閉まることはなく
ただ、人類全体として盲目な人が増えたり、
慧眼の人が増えたりとしますが、この二つの人類同士がセッションが少なくなるだけです。
これをスピリチュアルでは「二極化」と読んでいます。
「ゲートが閉まる」と言っている人は、それにより商売をしている人です。
人からの注目を集めるために、「覚醒」という心理を使って商売をします。
もしくは「善意」はあり、その扉の入り口付近にいて、
自分がどっち側の人間であるかわからないけど、
ゲートの中にいる満足感で他人にも味わってもらいたくて
呼びかける人もいます。
そのこと自体に善も悪もありませんので、攻めることはありません。
ここで言いたいのは、ゲートは開いていることに「氣」が付くことが大切です。
ここで、話を現実世界でみていくと
2011年3月11日に「東日本大震災」がありました。
イベント毎で心を痛めた方も多くいることでしょう、
命を落とした人の分まで精一杯生きる活力が生まれます。
これをスピリチュアル的にいうと「ゲートが大きく」開いた状態です。
大震災後のネットを見ると「目覚めている方々」が多くいます。
見捨てているのは、
自分でありゲートは常に開いています。開き具合はかわります。
ゲートが完全に閉まってしまったら、人間は、肉体として生まれる必要がなくなります。
なので、必ずゲートが閉まることはありません。
閉まってしまう時は、文明が終わりを迎える時ですが、さらに大きな周期で考えると
数万年後に遺跡としてゲートを見つけるもしくは潜るための一つのきっかけになります。
現代は、デジタル化が進み、スクリーンに釘付けのロボット型人間になりつつあります。
どっちがアンドロイドでしょう?
スクリーン越しだともうわからない、、、、
実際見たら、エロさでわかりたいですが、、、、
と余談でした。
ようするにデジタルに釘付けにして、ムーンショット計画
漫画ナルトだと、無限月詠計画をロングスパンの期間で行っていきます。
ワクワクティンティンティン騒動もその一つです。
しかし、我々人類が向上するゲートそのものは、閉まることがありません。
そのためにやることは「今」目の前にいる人に優しく触れ合い、
笑顔で過ごしたり、
仕事仲間も同じです。
ギクシャクする関係ではなく人間関係がよければ仕事は続く、
本音でお互いの意見を言い合え協力する集団になれば、
それは、幸せなことであります。
「今」あるありのままのあなたで完全であり、
そこから、目の前にいる人たちを笑顔にできればそれだけで
ゲートは大きく開き、人類が新たな本当の意味での知的生命体になるようにおもいます。
生かしていただいて 有難う御座位ます