【京都五芒星】結界 古代史探訪

妄想屋の今日の一言
スポンサーリンク

関西五芒星は有名ですが、京都にも五芒星があるそうなので、
今回は、京都五芒星に調査へ行ってきました。

  1. 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 京都市北区上賀茂本山339
  2. 西院春日神社あたり 京都市西京区嵐山宮町3
  3. 左京区北白川八叉路あたり 京都府京都市左京区北白川西伊織町
  4. 宇多天皇 大内山陵参道あたり 京都府京都市右京区御室大内65
  5. 八坂神社(祇園神社) 京都市東山区祇園町北側625
  6. 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 京都市北区上賀茂本山339

全体経路

京都といえば、大の字 祭りが有名ですよね。

五芒星が京都を守ってのかもしれません。

50代桓武天皇が、794年の平安遷都に際し、風水を元に京都の町そのものを結界として造っています。京の都造りに貢献した秦氏・賀茂氏の影響があったことでしょう。玄武(北)に山(船岡山、111.7m)があり、青龍(東)に河川(鴨川)があり、朱雀(南)に湖沼(巨椋池)があり、白虎(西)に大道(山陽道)がある場所が都を造るのに最適とされました。
そして、方位の厄除の神社として素戔嗚尊を平安京の周囲に祀りました。北は大将軍神社(北区西賀茂角社町129)、東は大将軍神社(東山区三条大橋東3丁目下る長光町640)、南は藤森神社(伏見区深草鳥居崎町609)、西は大将軍八神社(上京区一条通御前西入ル西町48)です。それ以外にも寺社を置き、平安京を守護しました。

 桓武天皇が平安遷都をした理由の一つに、40代天武天皇の平城京から脱却して、自身の38代天智天皇系に世の中を様変わりに変えるというものです。

 徳川幕府も江戸を守護するために寺社を配置して強力な結界をつくっています。神田明神、寛永寺、日枝神社、日光東照宮、増上寺などです。明治政府になって陰陽師や結界の思想は否定されました。しかし、天皇は従来どおりに国家・国民の安泰のために祈っておられます。皇太子もそうです。9月12日(木)投稿の「春分秋分の日」をご覧ください。
京都守護魔方陣
 平安時代中頃になると、安倍晴明(921年~1005年)が京都に結界を張って守護しました。陰陽博士の賀茂忠行と賀茂保憲(917年~977年)の弟子となり、晴明一代で賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立します。(2001年に映画「陰陽師」が製作されましたので、私も見に行きました。)
五芒星の「中心の目」=晴明神社
 京都市上京区堀川通一条上ル806、  御所の西方700m、堀川通りに面しています。安倍晴明の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた場所です。

安倍晴明さんが五芒星で陣をとったとのことですので、
位置優先で調査した写真と感想です。

  1. 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 京都市北区上賀茂本山339
  2. 西院春日神社あたり 京都市西京区嵐山宮町3
  3. 左京区北白川八叉路あたり 京都府京都市左京区北白川西伊織町
  4. 宇多天皇 大内山陵参道あたり 京都府京都市右京区御室大内65

    ここに神社を建てようとしたのかもしれません。
  5. 八坂神社(祇園神社) 京都市東山区祇園町北側625
  6. 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 京都市北区上賀茂本山339

この順番で回りました。

頂点や距離が多少違っても問題なさそうです。
左京区北白川八叉路あたりが「氣」がよわかったので、北天王 八大神社等々でもいいかもしれません。

やり終えたあとに、下鴨神社へいき、おみくじを引きました。

二人で周り、二人でおみくじを引いたところ、二人とも大吉で18番でした。

びっくり番号は「18=6・6・6」、、、
悪魔とされる数字ですね。

さらに晴明神社も立ち寄ってみたところ、桃がありました。

「ももたろさん、ももたろさん」
なぜ?桃太郎なのかは、後日記載していきます。
鬼とはそもそも、演技をした宇宙人なのかもしれないです。
この話は長くなるので省略、、、

北斗七星まで描いてあります。

本当に「宇宙の真理」をこのタイミングでいただけます。

この五芒星がどのように影響するのかは、明日からのお楽しみです。

生かしていただいて有難うございます。

スポンサーリンク
妄想屋
タイトルとURLをコピーしました