尖閣諸島の攻防が激しくなってきています。
中国 vs 日本・インド の構図をから見る所有物とは何か?
という本質を妄想をします。
中国さんは、資本主義に思う方もいますが、実際は富裕層ですら、自由に使える金額が少ない
共産資本主義なのです。
そのため、日本の企業の高島屋は、中国に進出したところ去年15億円近くの赤字になり、撤退をしようとしたところ、高島屋さんは、ハニートラップか何かで弱みを握られたのでしょう。
引くことができなくなっているとの情報があります。
次に、尖閣諸島の問題について見ていきます。
中国 外国籍の船を領海から退去させる権限など認める法律成立
中国の北京で開かれていた全人代=全国人民代表大会の常務委員会で、29日、海上の安全を監督する海事局の権限などを定めた「海上交通安全法」の改正案が可決、成立しました。
武器の使用を認める「海警法」が施行されました。
以上の記事からもわかるように、
中国さんは「尖閣諸島は、私たちの所有物だ」と主張をしているのでした。
これは、日本をはじめ世界中で同じ手法で中国は、所有物とし領土を広げようとしています。
インドは、上手に中国さんに向き合っています。
インドはどうやって中国軍の「侵入」を撃退したのか
第1に、軍の重点配備地域を北西部から北東部にシフトさせた。これまでインドが最も警戒してきた相手はパキスタンだったが、今後は中国になるだろう。既に陸・空・海軍の再編は始まっている。
「中国の孤立化」を急げ
第2に、中国との経済的デカップリングは今後も迅速に進むだろう。もちろんインドが譲歩しなければならない場面もいくつかあるだろうが、両国経済の軌道が異なる方向を向き始めたことは、今や明白だ。
日米豪印のいわゆるクアッドは、中国のパワーの源泉が自由主義経済の国々との経済的な相互依存関係であることに気付きつつある。従って中国を軍事的に抑止するためには、中国を経済的に孤立させる必要がある。これは短中期的にはクアッド諸国に痛みをもたらすだろうが、長期的には中国の痛みのほうが大きくなるだろう。
第3に、インドは引き続き、欧米諸国との協調路線を強化するだろう。これまでは、物質的および地位的な便益をるためにアメリカに追随していたが、今は、生き残りのためにアメリカと歩調を合わせる必要がある。インドが中国に対抗するテクノロジーや資金、武器を確保するためには、アメリカをはじめとするクアッドが必要不可欠だからだ。
中国さんの弱点が書いてあります。
この共産資本主義は、実は長期戦に弱いのです。
一生懸命働いても自由に使えるお金がなかったら、あなたはイライラしませんか?
それが三年も続いてみてください。
モチベーションは持たないでしょう。
中国さんは、短期戦には強いですが、長期戦になると弱いのです。
近年では、アメリカさんやヨーロッパさんも中国さんに大量にモノを作らせていました。
ここからは、インドにシフトチェンジするかもしれません。
そして、インドといえば「禅」「釈尊」です。
釈尊=ブッタ にこのような言葉があります。

「私には家族がいる。私には財産がある」
と思い込んで、人はそれに関して色々なことに悩みます。
しかし、本当は自分の肉体でさえも自分の所有物ではありません。
更には家族も自分の所有物ではありません。
ましてや消えて行く財産などが自分のものであるはずは無いのです。(原始仏典 ダンマパダ第5章-62番)
「人間は、所有感を持つと苦しみが始まる」と釈尊が仰っています。
ここで、陥りやすいワナもあります。
それは「責任感」です。

責任感から、争いは起きます。
先ほどの尖閣諸島の問題でも同じではないでしょうか?
お互いの国としての「責任感」で思い悩ませ、執着して戦いをしているように思います。
お互いが執着をすることで、双方に徳は間違いなくありません。
徳をする人は、戦いで儲けようとしている人くらいでしょう。
釈尊が伝えたかったことは、
「最善を尽くし、責任をもちますが、得られること所得することに執着はしません」
という態度が大切に感じます。
所有を期待していないので、
ご褒美がなくても悩むことがないのです。
もちろん、ご褒美がきたら、「ついているラッキー」と受け入れることもできるのです。
善きことでも悪きことも、与えたものが自分に返ってきます。
このことについて、日本人を含め人類は、古来から「四季」や「土地柄」の自然により、よく知っています。
だから、日本は小さな島国なのに、これだけ長く借り続けることができるのかもしれません。

「土地」も借り物です。
尖閣諸島も争っているうちに土が汚れ、島自体がなくなる可能性もあります。
それよりも土を綺麗に大切にすることが何よりも大切なのではないでしょうか?
全てが同じです。一時的に「家族」も「肉体」も「財産」も「土地」も「仕事」も預かっているだけで、
なくなっても「執着」せず「元々預かっていたものを返しただけ」と思えばいいのです。
自分の「した」上で、それへの執着を持たなければ、真の勝利者なのです。
貧富の差がなく、誘惑に惑わされない数少ない人に成れます。
「家族」も「肉体」も「財産」も「土地」も「仕事」も「自分」も、大切な借り物を綺麗に返そうとする人には、
内観して「本当の自分」で生かしいけます。
以上最後は、精神的な話になりましたが、
生きる上で少しでも参考になればと思います。
生かしていただいて 有難う御座います。