皆様方々、休みはどのようにお過ごしたでしょうか?
私は、畑を耕し蕎麦の種を植えたりできることをしていました。
自然と触れると思い出す。蜂の羽が擦れる「ぶーーーん」という音、夏の終わりを告げるミンミンゼミの「ミンミンミンミン」小さい頃は、常に耳に入っていた音が鮮明に聞こえるのでした。
どこか懐かしい音、夏休みに誰もが感じたことのある感情ではないでしょうか?
そんなことを口をポカーンと考えずにいると、世界で起きていることは、幻のように思い、今しかないことに浸れます。
そんな休日明けの月曜日ニュースをチラリと読むと、タ●バンのニュースや緊急事態宣言等の全く面白味のないニュースばかり、誰かの都合によるニュースばかり、
「人間は学ばないということを学ぶ」ばかりなのでした。
ということで今日は、ニュースを間に受けないことの大切さを書いていきます。
まず、あなたはニュースをみてどうやって感じますか?
楽しい・嬉しい・幸せとおもますか?
それとも、テレビ見過ぎちゃった、なんか疲れるな、満足しない感があるな。
けど、みんなとの話題にもなるし、、、とかとか思ったりしますか?
大半の人が後者なのではないでしょうか?
その理由は、そうやって思ってもらうように作られているからです。
もちろん、全てが全てではありません。本当に面白く・楽しく・嬉しく作ろう試みている人もいます。そういうものは、人氣になりまし、ある程度の信憑性が生まれます。
現代人は、目的と時間におわれていつの間にか生きている意味がわからなくなってきているように感じます。盲目になって歩いている状態です。危なかしくってみてられません。
トータル的に見たときに、あなたが少しでも不愉快と思ったら、みないようにすればいいです。
見たい世界をあなたが見ればいいのです。そうすると、自ずとそのようなニュースは、存在価値がなくなっていきます。結局自然の奏でている音が落ち着くように感じるように人間はできています。それはあなたの身近にあり、どこにでもあります。それを隠すことはできません。空氣一つを見ても自然が奏でている音です。

変なニュースや動画をみるよりも価値があります。その上、お金を取ったり、時間をとってり、目的にしたりすることがありません。
木漏れ日・雨の美しさ・風の音をただただ、ありがたく感じる私なのでした。
生かしていただいて有難う御座います。