ア●ガンvsタ●バンは、隴を得て蜀を望む!人間のエゴの象徴

世界情勢

日本、中の国、ア●リカ、タ●バン、ア●ガン、何人だろうと尊い命にかわりありません。

「自分たちが優位になろう」「支配をしよう」「領土を広げよう」
エゴのために、情報、宗教、政治、教育、考えうるすべてを都合の良いものにしてしまう。

エゴに取り憑かれて一時は達成感に満足をするが、心では「恐怖」を増やしている。
それは、先人たちが歴史やことわざとして教えてくれている。

ろうしゅくを望む
[由来]
「後漢書―しんほう伝」に載っている話から。一世紀、後漢王朝が創始されて間もないころの中国でのこと。隴(現在のかんしゅく省内)という地域をほぼ平定したこうていは、「隴を平定したら、今度は南へ兵を進めて蜀(現在の四川省)の対立勢力を鎮圧したい」と考えました。そういうふうに野望がとどまることのないことを、ある部下に向かって、「『既に隴を平らげてた蜀を望む(隴を平らげたと思ったら、今度は蜀が欲しくなる)』。軍隊を動かすたびに白髪が増えていくよ」と自嘲気味に語っています。

かつては、力があっても自分がやってきたことで、その餌食になる。

反タリバン勢力「対話拒否なら戦争」戦闘準備

アフガニスタンのイスラム主義勢力「タリバン」に抵抗する組織のリーダーが「対話を拒否した場合は戦争から逃れられない」として、タリバンとの戦闘準備ができていることを明らかにしました。
 反タリバン勢力リーダー、アフマド・マスード氏:「我々は1つの州で戦っているのではなく、1つの州で国全体を守っている」
 反タリバン勢力のリーダーとして活動するアフマド・マスード氏は22日、ロイター通信などの取材に対して「戦争の勃発は望んでない。タリバンとの平和的な対話を求めている」と語りました。
 しかし、「タリバンが対話を拒否した場合は戦争から逃れられない」として、「我々は戦う準備ができている」と強調しました。
 マスード氏ら反タリバン勢力の拠点は首都カブールの北部にあるパンジシール渓谷です。
 崩壊したガニ政権で第1副大統領を務め、「暫定大統領」を宣言したサレー氏のほか、アフガニスタン軍や特殊部隊なども集結しているということです。
 ただ、すでに周辺の地域はタリバンに支配されて孤立していて、反対勢力は劣勢とみられます。

リーダー、アフ●ド・マ●ード氏とは、どんな人なのでしょうか?
それは、アメ●カ、2●11.9.11の時に同時多発●●がありました。
アメ●カのこと人たちが、自作自演をし、過激派のせいにして、アフ●●スタンは、戦になっていきました。
その時に企ててできていった勢力です。
なので、中の国側が、タリ●●側では、こうやっていっていたのだ。かつて我々の国を落としいれたマ●ード氏をゆるすな。
そして立ち上がらせて、軍資金で設ける。その餌食になってしまいそうなのが、アフ●ド・マ●ード氏です。

タリバン復活の懸念に立ち上がる 「パンジシールの獅子」の息子 アフガン
 発信地:カブール/アフガニスタン

タリバン復活の懸念に立ち上がる 「パンジシールの獅子」の息子 アフガン
アフガニスタンの首都カブールで取材に応じた故アフマド・シャー・マスード元国防相の息子、アフマド・マスード氏(2019年8月25日撮影)。(c)WAKIL KOHSAR / AFP

【9月3日 AFP】アフガニスタンでムジャヒディン(聖戦士、Mujahideen)の司令官として旧支配勢力タリバン(Taliban)に対抗し、尊敬を集めたアフマド・シャー・マスード(Ahmad Shah Massoud)元国防相が暗殺されてから18年が過ぎた。その一人息子が今、父の使命を引き継ぐため、アフガンの混迷した政治の舞台に身を投じようとしている。

 米政府とタリバンが和平合意に至れば、米軍はアフガニスタン駐留部隊を大幅に削減するとみられている。これに対しマスード元国防相の息子、アフマド・マスード(Ahmad Massoud)氏(30)は、反タリバン勢力を奮い立たせ、血気盛んな戦闘員らがイスラム強硬派の新たな波に取り込まれるのを阻止したいと考えている。

この人の親は、パンジシールの獅子と呼ばれており、ア●ガ●スタンの英雄と呼ばれていました。

パンジシールの獅子

1975年、帰国してパンジシール渓谷に本拠地を築き、1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻後は反ソ連軍ゲリラの司令官となり、ソ連軍にしばしば大きな打撃を与えた。ソ連軍の大規模攻撃をも撃退し、「パンジシールの獅子」と呼ばれた。1988年5月よりソ連軍のアフガニスタンからの撤退が開始されると、マスードはソ連軍捕虜を自発的に解放し、ソ連軍の撤退を妨害しないことを約束した。このことはマスードに対するソ連側の心象を良くし、後にロシアが北部同盟を支援する動機ともなった。

1992年にムジャーヒディーン勢力が首都カーブルを占領し、ラッバーニー政権が誕生すると、そのもとで国防相、政府軍司令官を務めた。その後、ラッバーニー政権が崩壊しターリバーンが勢力を拡大すると、ターリバーンに対抗する勢力が結集した北部同盟の副大統領・軍総司令官・国防相となった。ターリバーンがアフガニスタンを支配すると、北部同盟の勢力圏はアフガニスタン北部山岳地帯に限られたが、領土としてはアフガニスタンの約10%、人口としては30%程度を掌握していた。

暗殺

その後北部同盟の中枢人物として活躍したが、2001年9月9日、自爆テロによって暗殺された。なお、2001年9月9日はアメリカ同時多発テロ事件の2日前であり、日本国内でも9月11日朝の時点で暗殺死亡説が報道された。暗殺者はアラブ系の2人で、モロッコ出身のベルギー人とされたが、後に旅券は盗まれたものであることが判明。北部同盟の主要メンバーを狙ってジャーナリストを装っていたとされる。実際の攻撃は、暗殺者の一人が持っていたビデオカメラやベルト、いずれかに隠していた爆弾を爆発させたものとみられる。

9月13日まで、死亡説は公には否定され続けていたがおそらく攻撃から30分以内に死んだと推測されている。暗殺者の一人は爆発によって死亡し、一人は逃亡中に射殺された。フランスの諜報機関DGSEが2003年10月16日に明らかにしたところによると、マスード暗殺に使われたカメラは、2000年12月フランスのグルノーブルでクリスマスのショーウィンドーを撮影中の写真ジャーナリストのJean-Pierre Vincendetから盗まれたもの。FBIとDGSEはカメラの製造番号を追跡し、同一のカメラであることを確認したとされる。

遺体は故郷ジュンガラック村を望む丘に埋葬された。アフガニスタン暫定政権発足式典では、壇上に大きな遺影が掲げられた。

暗殺の直前にジャーナリストのセバスチャン・ユンガーから取材を受けており、これが最後の記録となっている。

要するにソ連軍を阻止するためにD●サイドから軍資金の支援を受けた人だったのですが、同時多発●●の事件で暴露しようとしたか?なにか?で、暗殺されているのでした。

そんな中育って生きてきた息子ですが、今回も中の国サイドに追い詰められているのでした。

同じ血の流れる人間同士を争い合わせ、軍資金提供と作戦をひたすら考え、潰し合ういつもの人間のエゴの部分がよく見て取れるのでした。
「なんでそんなに争うの?」と聞くと「隴を得て蜀を望む」からでした。

そうならないためにも一人ずつが自分の心を
「明るく 朗らかに 逞しく 立派な人間として生きること 愛と平和とを恒に見失わず 生きることを厳かに誓います」
一人ずつが立派な人間だったら争いの氣持ちも思いません。
旦那や会社で怒ってしまう人、不満を思っている人、それは争いの第一歩です。
しっかり自分の機嫌を自分で取れれば、本来争いなどは存在しないのです。
生かしていただいて有難う御座位ます

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