フリーメイソンやイルミナリティやQ自分の意見をとりあえず考えて見た。
聴けば聴くほど陰謀だと思われるかもしれないが、
情報を掘り下げて見ていくとあるところに行き着く。
そうすると見えてくるものがある。DS(ディープステート)である。フリーメイソンも左官工の技術屋で少しでも良くしようとして組織にしたのがある時から暴走してイルミナリティという組織に所属する現在の形までになってしまった。
そこで立ち上がったのがQである。
Twitter上をみると発信者はおそらく万能薬大麻で覚醒に近い状態で普遍なく見えることだが、
DS側で悪いことをして来ただから殺せとなった時、歴史はどうなるか、WW1以前のナチズムになっていくのである。DS=ユダヤ 人としてナチズムで暴走して戦争までに発展していくのである。
今回も非常に似ているが、「愛」の法則が作用し出している。
おそらく安倍さんお疲れ様は「一人の人間として」である。よくDSと中共と国民からの圧力に対して我慢して我慢して我慢した結果、体を壊してしまったのだろう。怪我をした人がいたらお大事にというのが人間ではないだろうか?
日本人のそこが一番の良さだと思っている。どんなにズタボロになってもそうやって怪我をした時我先にではなく手を差し伸べる習慣と大衆心理もあるのかもしれないが、、それを持ち続けている。
実際安倍首相が辞任して終わりの始まりであり、やっと太陽の世界の始まりだとしてもだ。
もちろん安倍首相を辿っていき
家系図を見ていくと天皇にたどり着く、そして赤十字や日本財団・創価学会等々の最高責任者は誰か見て行き、
麻生太郎との関わりやその娘さんがロスチィルド家とうとう調べたらわかるが、私が一番のトップだったら、
ゲイツ等々おもて立たずに水面下でやっていく。何らな社長業もせず一般人Aとして品のいい顔をしてその辺にいる。そうした方が身を隠すにはもってこいで、サラリーマンといえば皆ああそうなのねとなるからである。
で赤十字の例で例えるなら、無料で血を採取してそのお金は税金も払わず、医療に売ったりとしているわかる人にはわかるでしょう。見ていけば必ずありますが、病院で輸血できる状況にあるのも事実である。この世は+があってーなのである。
7年半も外交でうまく渡っていくことDSと中共と国民と自分だったらそんなところ行きたくもないですけど、、、、、
どんな人間でも命の重みに変わりはない。
それを「許せない」となると人間の歴史はナチズムになって行きます。
そして、そう中国とWW3に入っていくまた、経済破綻をして新しい紙幣になってしまうでしょう。

それは哲学者ニーチェも同じようなことを言っていましたね。
自分自身を研究して、弱気ものも自己肯定感を自分で生み出せず、支配階級を責めるようになる。
自己肯定感を自分で生み出していかなければ結局他人を思いやることはできない。要するに、ルサンチマンに成り下がるのである。
一時はいい組織であっても長く続いていくうちに歪められていく。Qを見てもわかるように現在はより過去の虚構を真実に近い形で、情報発信しているが、言葉にした瞬間に人のイメージは多少の誤差があります。
例えるなら、赤いリンゴと言って書かせると全員が同じものを書かないようなものです。
そしてここから、コメントをみていくうちに自分が何かしらの洗脳をされている。何かしらの脳の中の情報の結晶化をするにもかかわらず、まるで自分は目覚めたように感じる。
自分自身の研究を怠っているのにQanonのいうことは全て正しいと思うような人が出て来ている。
自分自身を研究して弱者だろうと強者だろうと思考していく、これしかないのである。
かと言ってDSも中共も放っておけば、必ず独裁のみの暴走になる。
そのためにQとして立ち上がったのだろうけど、、、それは人間がやらなくてもやってくれる。むしろ手出しをしない方が懸命であるかもしれない。相手にすると奴らは喜ぶかまってちゃんと同じなのである。
なので、次のツールがもう全て用意されている。一人ずつが考えて行動すれば、本来何もいらないということがわかってくる。
そう、無の世界に入るのである。ニーチェもそれについて次は見ていこうぜって言って哲学的にサルトルになっていき、、、次は何が出てくるかな?超弦の世界かな?歪みがあるから無になっていくのかな?よくわからないけど、
そうすると美しき緑の星の時代が近ついて来ているのがわかります。
そのために、
私はワクワクしている。最近音がさらに強くなっています。世界でおそらくあちこち繋がり出しています。前兆も未来も見えて来ましたので、おそらく列車の開門はしだしました。前兆を聞いて直進していきましょう。大麻も使わずに脳の奥がパキパキになって来ています。
こんな文章もサクサク30分くらいで描けるようになって来ました。
ワクワクして待っていましょう。覚悟ができていたら、そういやーそんなこともあったね、と60年後笑ってわーやわーやしている想像が自分はできています。
もちろん相手の言いなりになれとかそういうことではなく、自己防衛も大切です。
この他人に当たり散らかすところこれが人類の元々の歪みであったのではないでしょうか?
自分の機嫌を自分でとり肯定もして、そしてそこからやっと他人様との交流になっていく。
このプロセスを辿らないと許せない人間が出て来て周りに当たり散らかします。
どうせ死ぬまでの苦労と楽しい努力の繰り返しなので、わーやーわーや楽しくやっていけばいいのです。
生かして頂いて有難う御座います☺︎