私たちはいろいろ苦労して手に入れたもの

例えば、土地や車お家や骨とう品・たまには楽器やワインや名誉サラリーマンだったら役職と様々なものがあるだろうが一度手にしたものを手放す人はなかなかできることではない。
しかし無性に上げてしまう人やよそ様が喜ぶなら上げるといったように中にはそういう人々がいる。では彼らとその人達が一体何がそこまで違うのであろうか?それを見てみると間違いなく大きく違うのは考え方である。もちろん手放さずそのまま頑張っておそらくここで努力してまたできると思っている人は手放しても自分でできるだけのノウハウがある。
逆に年功序列の一つにしがみついている人はそれを手放すことはできない。
女の人の関係もそうであろう。いい人を手に入れて他に自分はいないと思った時にその女の人を束縛して
自分の所有物になる。それは実は劣等感であり実は逃げていくことや不平不満が多くたまっていく。
要するにまた次の何かを手に入れることができる人は手放すことは容易であり、特に怒りや不満を手に入れず次にとりかかれる。
しかし、逆に自分はほかにないこの職業をやめたら、死んでしまう。と思っている人々は死に至っていくであろう。
大工でもサラリーマンも銀行員も政治家もプログラマーでもなんでも、また自分で一から旅路ができる覚悟のある人は
またいつでも立ち直ることが可能で手放すことができるのではないか?
老人たちが若いのに投資できない理由はここにあるだろう。生涯面倒を見るといい必死に生きてきてお金を持っているのは分かる。
大切であるが、死ぬまでに足りる分でいいのではないだろうか?それ以上もって一体何になるというのであろうか?
結局そういう人たちも不安だから、お金を持っていれば安全に生きていけると思い込んでいるが、実際は若い子供介護してくれる人々と
人類の向上に大きな老害として邪魔をしているであろう。しかし、老人でも自分はなくなっても「なーに」また一から作り直すことが可能さと覚悟ができている人々は
いつでもそういう名誉やお金といったものの愛着を手放すことが可能であろう。
無から有を作れる人は結局どんなことをしても再生してくる
いくら有をもらってもこれをできない人は無にするだけであろう。
今回も世界恐慌という大きな問題が出てくるが乗り越えられるだけの問題として、自分の氣の流れに沿って生きていく。その流れについていけない人は
跡形もなく荒波にのまれ、あっという間に悪名を残し滅びていくであろう。
それは何の仕事をしていても同じである。今生きている人でこの大きな波を体験した人はおそらくいないが、サーファーのごとくこの大きな波を楽しみに乗りこなす。
これを乗りこなしたときの高揚感は消えることのないDNAとして刻まれるであろう。
それが今生きている人類にとって大切なことではないだろうか?
本日は手放すこと無から有を作り出せるのか?
そしてこの大きな問題を乗り越えるための大きくかかわるであろう。事柄を大きな分野で書いてみました。歴史を見ると何度も乗り越えてここにいる。我々はDNA的に見てかなり強い生き物であろう。それを引き出せるか出せないかはあなた次第である。
そういう綺麗毎だけですが、書いてみました。
本当はその中の姨捨山親を見殺しにして乗り越えないといけない場面やお金がなくて困っているその人達が荒れ狂い盗難や強奪といったことをしてくる。けれどそのまま機械によって管理された都合のいい人たちが生き延びる可能性が高い。それはなぜか?
そういった方面も書いてみよう。
ありがとうございました☺