私たちの最後の選択は仕事になってしまったのかもしれない。仕事をするのと仕事をしないのとどちらが幸せか、自分はいつも思う健康的に仕事は必要不可欠だ、動かなないで脳を止めていることが実は脳がさえなく、
健康的でない生活をしている人が多い特に朝前氏も食べず、だらだらと生活してしまう。それよりも立ったと行動してさっぱりしたほうが人間的ではないだろうか?
何かを満たしてくれる人より何かをして満たして上がるほうがよっぽど幸せである。それはひとそれぞれ価値観が違っていますので、もちろん自分の信じたいことを信じてもらえればそれがいいことですよ。
ただそれでも不平不満愚痴泣き言生活しているのならそれはおそらく幸せには向っていないのではないでしょうか?
そしてそれは仕事にいえるよね?仕事を楽しくやっている人仕事をつまらなく働いている人
毎日仕事をしていて8時30分~17時まで有給を取得出来て楽をできれば幸せだと自分もその基準で職場を選びましたが、それは大きな間違いでした。仕事って歩合制にて自分で考えてそれが武器になって認められてお金が稼げて誰かの笑顔ができて、ほんとはいいことがいっぱいあるのそれが8時30分~17時まで有給を取得出来て楽と思って働いていた時は本当に一日が毎日長くて嫌で嫌で仕方なかった。
ではどうしてそこから切り替えて仕事を楽しくできるようになってきたのか?
その仕事の醍醐味まで行くについてのお話をさせていただきます。最後まで読んでくれて皆さんの役に立てることが一つでもございましたら、幸いです。
1メンターへの出会い

一番大きかったのはメンターとの出会いでした。仕事もするしプライベートも色々経験している。本当に魅力のある人でした。最初はこの人はなんでこんな行動もできてワクワクしていて振動数がこんなにも高いのだろうか?ということで観察して真似してみましたけど、まー頭の回転も動き方もついていくことが全くできませんでした。そのたびになんで?だとひたすら考えていました。もちろん若いのと野球をやっていたので体力には非常に自信がありましたので、ひたすら真似することをしていました。しかし、全然動きと頭のインスピレーションがついていかない。何か自分の考え方行動の仕方が大きく違うことを学ぶ毎日でした。学生の時野球でプロ野球選手の真似をするとにかく真似をする。わからなくても真似をしているが、そうしたらいつの間にか似たところのあるところまではいきつける。どこに行こうと真似をして自分の基礎を作る。そこからはあとは自分の微差に微差をつみかさねて生きていくことが大切である。メンターのおかげでいかに自分の考え方がおかしいか、またいかに人間のできることが小さいか、その中でどれだけ輝けるゲームにするか、いかに仕事を楽しくやるか、本当に自分の楽が幸せとおもっていたことに浅はかで、今のエネルギーを使うことのほうが楽しくてワクワクしながら、生きていくことができるか、もちろん責任とか自分の中のプライドだとか、覚悟が決まっていればそんな怖いこと嫌なことが気にならなくなってくる。大げさではあるが、本当にありとあらゆる人生の生き方と下らい男と女の話とか、宇宙の話とか仕事の話とか大恩人に出会って仕事って楽しいと感じることができました。
2本を乱読

最初はその恩師の行動を本で読んでいるうちに、世間一般でいう成功者というものには共通の思考の仕方があるのだと感じるようになった。それは、習慣でしたり、どういうビジョンで今の行動に集中するのか、また合わない人との灰汁抜きをしながら、仕事を廻すのか、それを本で読みながら、本当だそうやって動いていると思ってどんどんどんどん成功者と自分を見比べていくことにワクワクしていくうちに、本を氣がついたら、1000冊近くまで読みアがえていたのが社会人3年目、今は少しだけ本を読むことよりアウトプットすることに意識を置くようになりましたが、本当にその時の何でもいいから真似して行動して本読んでは真似してよくわからないけど、明日はこうしてみよう。例えば、朝にTODOリストを作ってホワイトボードに書いたり、いろいろ試しては見たものの、ルーティンは何かを考えてそこに突発的仕事と区別をしたりこれはこれは違うとやっていくにつれて仕事がはやくなってご褒美にご飯を食べに連れて行ってもらったり、本当にありとあらゆることを本の乱読をして学んでは次学んでは次、見たくもない世界のことや光があれば影があること、本当に絶妙なバランスで奇跡的に世界は成り立っていること、このバランスを踏み滲んだときの人間の末路はどうなるのか?エジプト文明然り、アトランティス文明然り、なぜ文明と呼ばれているものは崩壊をしているのか?仕事もすべて繋がっていると感じるようになりました。
3仕事に集中

仕事にひたすらぼっとしていると斜め45度から思わぬ形で奇跡が起きてくるようになります。奇跡みたいなことが、ほんとに毎日起きてくる小さい小さい奇跡が何度でも何度でも起きてくる。
その時に必要なのが集中すている状態である。この集中している時無我夢中にただただ集中しているときのその感情も何もなくてだけが動いている今まさに書いている瞬間にふとおちてくるなにかがあるそれにしたがってひたすら書いている。それか土日でひたすら体を動かしているときにふと降りてくる。このアイディアが実に素晴らしい数式で表したらおそらくかなりシンプルであるであろう。世の中の物事はシンプルである。
4ブログに手を出す

これは自分だけの経験としておくのは非常にもったいないと思った私はみんなに提供する党ということをしだしたこの府赤いs着な経験はおそらく世界中tで今見られている現象であろうこの現象は想起学や顕在意識や潜在意識とかインスピレーションとかスピ的なことでよく呼ばれて相手にされないが、経営者も自分の創造を建物も自分の創造をすべて人個物の物はこのインスピレーションを使っている人が非常に多い。ブログを書いてこのインスピレーションを多勢でいい方向にもって行けた時に人間がどうなるのか?自分は見てみたい、おそらく戦争もない世界で愛に満ち足りている世界になるであろう。もちろんさぼるとこの宇宙の法則は崩れてしまいますが、この法則をループさせたことをいま人類でやってみたくありませんか?そのための媒体はほぼほぼ出来上がっている。そしたら、心を平穏にしてそこに向かっていこう。都心部だろうが田舎だろうが一緒のこと、今都市を手放したら誰がそこの建物を自然と生きてくようにするのか?確かに都心を見極めて田舎に行くのもいいと思うけど、この過去の人間の過ちを誰がほほ笑むの?自然に任せればもちろん人間でいう数世紀単位で、元に歪みが戻るだろうが、勇逸人間与えらえた3脳があるのだから、その手助けをしようとしている人なぜか龍鳴の如く奇跡が起きてくる。何を言っているのか今は分かって漏れる方は少ないが、ここにチャンスがあるのだから自分の気持ちを開放してあげて従えばいいこういうことを綴っていくために自分はブログを書きだしました
5新たな出会いを求めて

別れがあって出会いがる。楽をしてく生きていければはいいやというときはそういうパチンコや娯楽をすることに目を向けていましたが、コロッと変わった場合に付き合う人間が変わってくる。本当にびっくりするくらい変わってくる。みんな元氣がある。本当にエネルギー的に疲れ切っていない人達が集まってくる。自分もそのエネルギーを放出しているから同じ波動で合うのだろう。逆にすいこんでしまうえねるぎ体の人は近くに寄ってきても何のことだ?とあいつは頭が行ってしまったとよく拒絶する。これが大きな分岐点であろう。人間はどちらにもなれるのだから、これを伝えてもわかる人は分かるしわからない人はワカらない、それをいかに伝えるか一生懸命みんな試行錯誤しているのがわかる。そのおかげで圧倒間に天と地が入れ替わってくるであろう。そしたら、調和がなされる。というところで本日のお話は終わりにいたします。
最高の出会いに、そして、
生かして頂いて有難う御座います☺︎