すぐに出てくる、自分の弱さ。自分の弱さを知らずに人間は成長がない。
私は中学生の時、音楽祭が嫌いだった。担任の教師によく怒られたものだ。
音楽祭の前日に私は歌いたくなかったので、合同練習で歌わずにいた。そしたら、担任の教師に出ていけと言われた記憶がある。学校の時間外ということもあり、帰った記憶がある。出ていけと言ったので出て行ったのに、後日皆の前で謝れと家まで迎え出向いて担任に怒られた。前日水風呂に入った記憶がある。風邪をひいて休みたいと思ったのである。朝起きてみるととても元気で親に言い訳もできず、謝罪会見が行われた。当時好きだった子も同じクラスにいてショックだった。
なぜ歌いたくないか?
そもそも音痴なのである。それが歌いたくない一番の理由である。何度歌っても音痴は音痴なのである。
公開処刑である。音楽祭での吹奏楽部ははどうしてあんなに張り切っているのか?私にはわからない。
いらないと見抜いているのに全学年でいかにも全体主義でき考えである。
選択制で発表会・音楽祭にすれば、まだ民主主義要素が強いのに、音楽祭は全学年共同ということもあり誰が考えたカリキュラムなのだろうか?
なのに、無理やり歌わされているのでこっちだって帰って明るい何かをしたいのに、教師は自分が正しいかのように皆の前で私は謝った。今では、それがいい思い出である。あの時の担任の教師も結局何一つわかっていないのである。
楽しくやることは考えず罰するのが正義で皆に迷惑をかけたのは私で合ったのだろう。確かにクラスにはごめんなさいいと思っている。
今では、この因果が私を助けてくれている。現在の頑張りのバネになっていることがわかる。
楽しくないことをやらなければいいのである。最初っから口パクかもしくは参加しなければ、なんの問題もないのである。
あの時の過ちを起こした時にお辞儀をする。そのことは今でも大切なことだと氣づかせてくれた。
妬みや恨みがその時は合ったが皆答えがわからず、いろいろな試行錯誤をしているだけだったのだとわかっただけその担任の教師に有り難うと思っている。
楽しく、生きることの大切さをその時に学んだ。
生かしていただいて有り難うございます☺︎