自由氣ままにいきていく。
自由はないです。肉体的に囚われている時点で自由はない、
その中で自由というか時の流れに身を任せてひたすら走っていくとそこで新たな出逢いがあります。
本日は
- 自由氣ままに進んでいくこと
- 正当なる努力を無ですること
以上の2点について書いていこうと思っております。
1 自由氣ままに進んでいくこと
自由とは、おそらくこの世にいる限りそんなものはありません。なぜなら、自我から離れる人はいないようにこの体の入れ物自体に自由がないからです。
しかしその自由のない中で、自分で意思のエネルギーによって何かを想像して好きなことをして生きていくことや楽しく生きること、時には意図的苦痛と正当なる努力をしていくこと。
そのようなことをしていく上で幸福の理論が成り立っていきます。宇宙の法則「愛」の法則とも言えることでしょう。自由には責任が伴うものです。例えば、歩くこと一つ見ても、自分の意思で歩いています。人が歩けと言って歩いているという人もいるかもしれませんが、その場でしゃがみこむこともできますし、引っ張られていくこともあるかもしれません。要するに歩く選択をしているのです。そして、歩いている最中にコケてしまい怪我をしたとしましょう。誰もその怪我の責任は取れませんよね。あなたの体が怪我を治してくれます。これも全て洗濯しているのですが、それはカルマのお話でそれてしまいますので、ここでは
自由には責任が伴い、その上で自分の氣の向くまま動いていくこと自ずと導かれる道へ進んでいきます。
そのためには正当なる努力を無でする必要があります。
2 正当なる努力を無ですること
すぐにみなさん苦しい努力がいいと思ってしまうが、その思い込みが一番怖いのです。集中できるものをひたすらやっていくといいのです。しかし、あくまでそれがどういうルートで努力ができているのかをしっかり把握したり、そこでのルールみたいなものを突き詰めていかない限り、いきていくことは必ずできないのです。
それをやっていくうちに無我夢中になっていて、時間を忘れている時に、ぽっと出てくるアイディアほど優しいものはありません。この正当なる努力の時をしていて無我夢中になっている無の状態に浮かぶように落とし込めるようにしておくと自ずと斜め上から降りてきます。直接的にくるのではなくまさかそこから来るとはという状態できます。
みなさん全員がそうやっていきていれば必ず社会も成り立ちます。システムのルールをそれのみにしたら、
必ず面白いくらい発展していき宇宙人の中でも尊敬される宇宙人(人間)のポテンシャルを持っていると思います。
本日は自由氣ままに正当なる努力で無我夢中になろうというお話でした。
生かして頂いて有難う御座います☺︎