資格勉強を珍して思ったことを書きます

妄想屋の今日の一言
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珍しく資格勉強をしていました。

もちろん資格は知恵がつきます。
できた時の達成感はかなり高いですが、
その資格で飯が食えるか?と言われたら答えはNoでしょう。
勉強に集中すれば、それで時間はなくなります。
確かに知識は身につき必要なことかもしれません。
今は情報社会で、本当に必要なもの隠れる状態になってきています。

例えるなら、金のリンゴがなる木の周りに2万個のリンゴがあり、金のリンゴが見えない状態です。リンゴなど目にくれず、クポクポ自分の道を生きていれば良いです。
多くの資格を持っている人はそれないの自信になりますし、
頑張ることのできる勲章と思っていることでしょうが、 実際は資格のみで人の役に立つことを忘れて「時間を無駄」にした勲章になりつつあるように思います。

使わないものまで溜め込んで、目の前の笑顔を大切にしない人が多くいるように思います。
現在は、パソコン一つあれば、一瞬で資格の解答が導き出せます。

資格という価値は一体何にあるのでしょうか?

心を震わす言葉や音楽や詩や食べ物を作り出すのに資格が必要なのでしょうか?

何かの蚊帳に入れるためのまやかしにすら感じます。
「知識」ではなく生きるための「知恵」が大切と言いたいのです。

意味のないことまで覚えさせるのには知恵がなくなるのではないでしょうか?
そして、カリキュラムしていきテストのハードルが上がっていきます。
何かをするのに証明書として取りましたが、
必要ないことだと改めて実感する機会になりました。

そのために「資格の知識」と実際の「生きる知恵」を証明するために
明日からは2月24日の四国に88巡りの計画を練っていきます。

おそらくここからは引き返せないくらいぶっちぎりになることが予想されます。
多くの人が集まる場所や人になっていくことが予想されます。
新たなプラットフォームの場になっていくのが私には見えています。

このブログの意味がわかっていき伸びていくこともわかります。
皆さんでくぽくぽ考えて楽しく過ごしましょう。
小石を拾っていたらダイアモンドになることがわかります。
資格はどうしても心が乗らないものです。

確かに楽しいところもありますが、全体主義の真理を利用した一つのマネーゲームになってしまいました。

本来は、知恵のための資格が飯を食うためだけの知識になってしまったのは非常に残念に思います。

テストも今の時代にあったデジタル化になっていくでしょう。

時代が変わっていくにつれて新たなことにチャレンジをすればいいのです。

空っぽになるビルが想像できました。

生かしていただいてありがとうございます。

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妄想屋
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