567騒動だろうが、問題なし!集合意識後から遊牧民から学べることがある

妄想屋の今日の一言

マスメディアを少しみると最近は、キャスターさんも本当の笑顔が消えたように思う。
何かに縛り付けられたかのように出来上がった文章を読んでいるように感じる。

今日は、この日本全体、いや世界全体に流れている。
「だる重」を少しでも晴れやかに、明るくするための話をしていきます。

ではもっと明るくするのにはどうすればいいの?

とにかく笑顔で、いきること。
これだけなのですが、これができないていない。

日本人の苦手なところかもしれない。

もう少し話を掘り下げていき、主に「文明人」も「遊牧民」から学ぶことがあるのではないか?
ここに本当の「笑顔」と「ありがたみ」があるのではないだろうか?

それでは、「だる重」を思ったまま綴っていく、
ただ氣ままに文章を綴っていくので、話が飛ぶかもしれないが、あらかじめご了承御配慮程よろしくお願いします。

今求められているのは、この集合意識が「だる重」から
肩の荷を降ろしてくれる、そんな人のところにますます需要が求められている。

戦争が起きたら、もっとみんなが「氣」がつくと思っていたが、全然そんなことはないようだ。

変わるのは、いつも自分の心の持ちようだけです。

誰もが一度は、やったことがありませんか?
相手を変えようとしてうまくいかないことが、、
そう、相手が変わることはほとんどなく、
自分が振動してその結果周りが共鳴を起こすだけである。

ここで一つ、あなたの生活でマスメディアがなくなったとします。
そのとき、情報を取り入れるのはどのようなことになるでしょうか?

「新聞」「SNS」「周りの人」「直感」などになる。
「SNS」は、自分の視野のプラットフォームになりやすい、かと言って大手ニュースサイトをみると
いつもの「マスメディア」と内容がほとんど変わらない。

いちどやってみるのもいいかもしれない。休日に情報を与えない生活をする。

そうすると、いかに自分が現実世界で起きていない。
情報に振り回されているかがわかる。

もし、ラマ教やモンゴルの遊牧民だったら、567騒動はただの風邪で済まされるであろう。

だれかが、問題を大きくして、それによって何かをしたい思惑があるようだ。
【567→ワクワクティン→緊急事態宣言(戦争前の避難訓練)で備えよ】と間接的に
教えてくれているのである。

少しばかり遊牧民のように「今」ある現状を自分の目で見て受け入れることも必要なのではないだろうか?
私の中では、1番の「持続可能な生き方」のように感じる。

自然と共に生きよう。

ジブリ 宮崎駿さんの映画ラピュタ のシータのワンシーンに

 “ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。”

そう、もしロボットを操って生きていっても人間は、自然や土と共に生きない限り、文明は崩壊し、生きることはできないのである。
そのことを教えてくれるために、今回の「567騒動」は起きているのであるようにも思う。

とかなんとか、

ただ少しでも、明るく元氣に朗らかに、親切、愉快に
人間は生きれると思っています。

そのためには、感謝が必要です。

生かしていただいて 有難うございます

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