【受験死にたい】の正体を知れば人生楽しくなるよ【レレレのおじさんの話】

妄想屋の今日の一言
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絶好調!ぶっちぎり!

受験シーズン!まっただなか!

子供たちは素直。

こんなのがトレンド入り。

丸暗記の受験勉強。

大人になったからこそ分かる。

必要ないものは、覚えられない。

そして、受験で覚えたものは社会にほとんど役に立たない。(もちろん、教師になりたい人などには役に立ちます)

そのことを詳細に教えてくれるのが、

「バカボンボン」の「レレレのおじさん」

レレレのおじさんの本名は「周梨槃特しゅりはんどく」といいます。

で、このレレレのおじさん暗記が全然できなかった。

お経一つも覚えることができなかった。

周りから、バカ扱いされた人です。

けど、今にも伝り続ける「奇跡」を起こしました。

私は、宗教家でも仏教徒でもありません。

ただ、今の仏教を知ることは楽しい。

今伝わる「レレレのおじさん(周利槃特(チュツーラパンタカ)の逸話)」の話を引用しました。

お釈迦さまの教化の方法を譬えを用いて応病与薬と言います。
一つ一つの病に対して適切な薬を与えるように、一人一人の資質に合わせて適切な教え説くからです。

この具体的な事例としてよく法話の中で聞くのが、周利槃特という修行者が阿羅漢果を開いた話なのですが、お寺に『釋迦-生涯とその弟子-』高下恵著という本があったので、周利槃特が阿羅漢を開いた話を紹介します。

なお、この記事の最後の方に本書の原文を載せていますが、誤字脱字があること(誤字脱字はそのまま直さず載せています)と原典の形を崩したくなかったのか少し読みにくいこともあり、私の取意が取意して記事を書きましたのでご了承ください。

・ ・ ・ ・ ・

王舎城のある豪商の娘が、その家の使用人と親しくなりました。

しかし、二人の関係を周りの人たちに知られるのを恐れて、その使用人の男に「もし私の父母がこの事を知ろうものなら、私を粉々にしかねないので他国に逃れて住みましょう」と娘は言います。

そして、自分の持ち物を持って戸口から逃げだし、ある所で二人は同居します。

やがて彼女は妊娠し臨月となったので元使用人であった夫に相談しました。

「いよいよ出産の時ですが、知人や親戚から離れた所で出産するのは私たちお互いの苦しみですから、逃れて来た家に帰りましょう」と。

けれども、夫は「今日行こう、明日行こう」と口では言うものの実際に行動に移すことはありませんでした。

そこで彼女は「この愚か者(夫)は、自分が悪事を犯したものだから敢えて行こう(帰ろう)ともしない。世の中で父と母はこのうえない恩恵者である。あの人が行こうが行くまいが、私は一人でも行くことにしよう」と心に思います。

そして家具を整え、自分の生まれた故郷へ行くことを隣人に告げて彼女は出発しました。

その後、夫は家に帰るも妻の姿が見当たりません。

あなたの奥さんは故郷の家に向ったということを隣人から聞き、急いで後を追い途中で追いつきました。

しかし、故郷の家に到着する前に産気づきその場で出産してしまいます。

出産するために故郷の家に帰ろうとしていたのですが、生まれてしまっては故郷の家に帰る目的がありません。

二人は家(故郷から逃れて同居していた家)に帰ることにしました。

そして、道路で生まれた子どもであるからこの生まれた子どもを「パンタカ(道路)」と名づけました。

その後、彼女は再び妊娠します。

前回の様に、故郷の家に帰って出産しようと向かうも、再び向かう途中で生まれてしまいます。

そこで、最初に生まれた子どもをを摩訶槃得(マハーパンタカ|大路)と名づけ、次の子を周利槃特(チュツーラパンタカ|小路)と名づけました。

パンタカ兄弟は成長し、周りの子ども達が「祖父さん、叔父さん」と言うのを聞いて「自分たちにはなぜ、親類がいないのか?」と母に尋ねます。

そこで、ここに親戚はいないが、王舎城には裕福な祖父さんが住んでおり親戚を沢山いること、自分(母)は理由があって故郷の家に行くことができないことを母は子どもに言い聞かせます。

しかし、この事が母にとって心労となり、夫にこう相談しました。

「父母(パンタカ兄弟にとって祖父母)は、私たちを見たとしても、まさか私たちの肉を食うようなことはしないでしょう。子ども達に祖父母の家を見せてあげましょう」と。

こうして家族一同、王舎城に着き、彼女は二人の子どもを連れて故郷に帰ってきたことを自分の父母(パンタカ兄弟にとって祖父母)に告げ知らせました。

すると、父母はこの話しを聞いて、「迷の境界を経巡る身にあって、子どものないものはない。しかし、あなたたちは大きな罪を犯したのだから、私たちの目の屈く所に住まわせるわけにはいかない。いくらかの財産を持って行って、二人で安楽な土地へ行って住むがよい。二人の子どもはこちらによこしておくがよい」と言います。

そして、彼女は父母から贈られた財産を受け、子どもはつれに来た使いの者に渡して、それからまた旅に出て行きました。

子どもたちは祖父母の家でスクスクと成長します。

兄の摩訶槃得(マハーパンタカ)は祖父と一緒に仏さまのお話を聞きにいって、仏さまの目の前で法話を聞いているうちに出家したいという思いを持ち、そのことを祖父母に相談しました。

すると、祖父母は大賛成。

「世界のどんな人が出家するよりも、お前が出家することの方が有難い」と快く許してくれました。

こうして祖父は兄の摩訶槃得(マハーパンタカ)と共に仏さまのもとへ訪ねるとと、仏さまは祖父に対して「どうして貴方はこの子を得たのか」と尋ねます。

祖父はこの子は自分の孫であること、そして出家をしたいと自ら申してることを告げると、仏さまは一人の托鉢僧に向かって「この子を出家させるように」と命じられます。

その後、摩訶槃得(マハーパンタカ)は、多くの仏語を記憶し、成年に達して具足戒を受け、専ら修行して阿羅漢(あらかん)という悟りの境地に達しました。

摩訶槃得(マハーパンタカ)は禅定の楽しみ、悟りに至った境地の楽しみを受けつつ日々を送っていましたが、「この様な楽しみを弟の周利槃特(チュツーラパンタカ)にも与えることができないか」と心に思い、弟の出家の許しを請いに祖父を訪ねます。

そうすると、祖父は弟の周利槃特(チュツーラパンタカ)の出家についても快く許してくれました。

しかし、兄とは違い弟の周利槃特(チュツーラパンタカ)は愚かで、鈍な性質でありました。

「匂い香しき蓮華の暁に綻びて薫ずるがごとく 遍く照らす 仏(アンギサーラ)を見よ 空に輝く日輪のごとく」というこの一句を、四ヶ月たっても暗誦することができなかったのです。

それにはこの様な理由があります。

周利槃特(チュツーラパンタカ)が昔、迦葉仏出世の時に出家した時は賢明であったのですが、他の愚かな比丘(修行者)が、教語を暗誦するとき、これをあざけり笑ったのです。

そのためにこの比丘(修行者)はそれを恥じらって教語を暗誦せず、また復誦もしませんでした。

その報いによって、彼は出家しても愚鈍で、暗誦した詩句も、次を暗誦しようとすれば、そのあとから忘れてしまったのです。

こうして周利槃特(チュツーラパンタカ)は、この一句を暗記しようと励んでいましたが、四ヶ月経っても覚えることができません。

その時、兄の摩訶槃得(マハーパンタカ)は、彼に告げました。

「パンタカ!お前はこの教えを奉ずるだけの資格がない。四ヶ月たっても一句さえ憶持することができないではないか!おまえなどは、どうして出家の修すべき最上の位に達することができよう。この精舎から出て行くがよい」と言って追い出してしまいました。

しかし周利槃特(チュツーラパンタカ)は、仏の教えが慕わしくて、在家に戻ることを望みませんでした。

その時、兄の摩訶槃得(マハーパンタカ)は管斎者でありました(この「管斎者」とは在家の信者が修行者たちに食事を振る舞う際に修行者たちの代表として実務的なことを担当する方だと思われます)。

コーマーラバッチャ・耆婆(ジーヴァカ)は、多くの香華をもって自分のマンゴー園に行き、仏に供養して説法を聴き坐から立って仏を礼拝し、摩訶槃得(マハーパンタカ)に近づいて言いました。

耆婆「尊者よ、仏のみもとに、いかほどの比丘がおいでですか?」

摩訶槃得(マハーパンタカ)「五百人います」

耆婆「尊者よ、明日、仏を上首とする五百の比丘たちを案内して、私の家で食事をおとりください」

この様に耆婆が乞うと、摩訶槃得(マハーパンタカ)は「周利槃特(チュツーラパンタカ)という悟りを開いていない愚か者を除いて他の修行者たちは貴方の施しを受けます」と答えました。

周利槃特(チュツーラパンタカ)は独り除外され、「兄はきっと私に対する兄弟としての情が無くなったのだろう。こうなってはこの教説も私にとっては何もならない。仕方がないから私は在家となって、布施などの善行を積んで生活しよう」と思い、翌朝「在家にかえろう」と言って去ってしまいました。

この出来事をご覧になった仏さまは、夜明けになって周利槃特(チュツーラパンタカ)に先んじて、彼の出て行く道の城門の辺りで遊歩しておられました。

周利槃特(チュツーラパンタカ)は精舎(仏道修行者たちの住居)から出て仏を拝見し、近づいて仏さまを礼拝しました。

すると、仏さまは周利槃特(チュツーラパンタカ)に向かってこう仰います。

「周利槃特(チュツーラパンタカ)よ、あなたはこんな時間にどこへ行こうというのだ」

すると、周利槃特(チュツーラパンタカ)は自分は兄に見放され在家の生活に戻ろうとしているところだと答えます。

すると、仏さまは周利槃特(チュツーラパンタカ)に向かって「周利槃特(チュツーラパンタカ)よ、あなたは私について出家したのであろう。兄に見放されたのならば、なぜ私のもとへ来ないのか。在家に戻ってどうしようというのか、私のもとへ来なさい」と仰り、仏さまの香室の前に坐らせて続けてこう仰います。

「周利槃特(チュツーラパンタカ)よ、東方に向かい【塵垢の除去・塵垢の除去】と言ってこの布片をなでながらここにいるとよい」と。

そして、仏さまは不思議な力でこしらえた純浄の布片を周利槃特(チュツーラパンタカ)に与え、耆婆からの施しを受けるために耆婆の家に向かい施しの場につきました(「箒(ほうき)を渡されたと記述されている仏伝もあるそうです)。

残された周利槃特(チュツーラパンタカ)は太陽を仰ぎながら、「塵垢の除去・塵垢の除去」と言って、その布片をなでながら坐っていました。

その内、布片は汚れてしまうのですが、その布を見て周利槃特(チュツーラパンタカ)は「清浄な布であったが、私が撫でたために前の清浄であるという性質を捨ててこの様に汚れてしまった。誠に全てのものは変化し続ける」と言うと、滅尽観を起して観察智を得ます。

仏さまは周利槃特(チュツーラパンタカ)が観察智に達したのを知り「周利槃特(チュツーラパンタカ)よ、この布片ばかりが塵・垢に染まったものと思ってはならない。内心には欲の塵がある。それを除き去れ」と言いながら光明を放ち、まるで周利槃特(チュツーラパンタカ)の面前に坐せるが如く思わせ、次の詩句を唱えられました。

「貪欲は不浄にして塵垢は不浄ならず 不浄とは貪欲の異名なり この不浄を捨てしかの比丘衆は 不浄を離れし教えに住す 怒りは不浄にして塵垢は不浄ならう 不浄とは怒りの異名なり 愚痴は不浄にして塵垢は不浄ならず 不浄をすてしかの比丘衆は 不浄を離れし教えに住す」

この詩句が終わったとき、周利槃特(チュツーラパンタカ)は四無碍弁とともに阿羅漢果に達し、三蔵に通達したのです。

なぜ、この「塵垢の除去」が縁となって阿羅漢果を開いたのかというと、これも彼の前世が関係していました。

それは、周利槃特(チュツーラパンタカ)が国王であった折り、城廓を右廻りして額から汗が出たおり、清浄な布片で額をぬぐい、布片は汚れた時のことです。

彼は「この肉親のために、かような清浄な布片も自性をすてて汚れてしもう、まことに諸行は無常である」と無常想を得ました。

この因縁によって、この「塵垢の除去」が縁となり、周利槃特(チュツーラパンタカ)は阿羅漢果を得たのです。

耆婆が仏さまを上首とする比丘衆(修行者)たちに食の供養を行った折、仏さまは耆婆に「精舎に一人比丘がいるだろう」と仰いました。

耆婆は仏さまの仰ったことを受けて、「精舎に比丘たちが居るかどうか調べさせましょう」と言って人を遣わします。

この時、周利槃特(チュツーラパンタカ)は、精舎に比丘が居ることを示すために衣服のことに関わっている比丘、染色に関わっている比丘、読誦をする比丘と様子の異なる千人の比丘を化現せしめました。

そうして使者は精舎にたくさんの比丘がいることを見て帰ったのです。

そして、マンゴー林には一面に比丘の姿があったと報告します。

高僧となった周利槃特(チュツーラパンタカ)は一つの詩句を誦しました。

「おのが身を千様に化現してパンタカは 心地よきマンゴー林に坐す 時を告げられるまで」と。

その時、仏さまは使いの男にこの様に仰いました。

「汝は精舎に行って、仏が貴方を呼んでいると伝えよ」と。

使いの者がマンゴー林に向かい仏さまの仰になったことを伝えると、各々異なる姿をした比丘が「私が周利槃特(チュツーラパンタカ)です」と言います。

困った使いの男は帰って事の顛末を告げると「それならば、汝はもう一度周利槃特(チュツーラパンタカ)の元へ向かい、最初に【私が周利槃特(チュツーラパンタカ)です】と名乗りをあげた者の手を捉えよ。そうすれば他の者は消えてしまうだろう」と仏さまは仰せになりました。

使いの男は、仏さまの通りすると一千の比丘はたちまち消えてしまって高僧・周利槃特(チュツーラパンタカ)一人が現れました。

そして、、高僧・周利槃特(チュツーラパンタカ)と使者は耆婆の供養の所に向かいます。

食事が済んでから仏さまは耆婆にこう言われました。

「耆婆よ、周利槃特(チュツーラパンタカ)の鉢を取りなさい。彼(周利槃特)は貴方に歓喜の心を表すであろう」と。

耆婆が言われたとおりにすると、高僧・周利槃特(チュツーラパンタカ)は獅子(ライオン)が吠えるが如く三蔵を声高らかに称え天地を震わし歓喜の表明をされました。

仏さまはその場から立ち精舎に帰り、比丘(修行者)が行うことを示して、仏さまとしての教誡を示して床に就かれました(以上)。

残念ながら、現代の宗教の一部は「仏さま最強・崇めよ」と歪められています。

信者さんへ、宗教家でも仏教徒でもないから「許してね

精神的なことをやっているのだから「許してくれるよね

で、その一部に私なりの解釈を入れます。

「レレレのおじさん」の伝えたいことを現代の受験にすると、こんな感じ。

ある時、ぱんちゃんという人がいました。

ぱんちゃんは、受験勉強に追われていましたが「公式一つも暗記できね」

自分って「馬鹿なのかな」と悩んでいました。

優秀な教師に教えてもらっても「お前は馬鹿だから、学校の邪魔になる。出ていってくれ」と、言われてしまいました。

受験も受からず就職できず、親族からも除け者にされ、家を追い出されてしまいました。

そんなときに一つのほうきや布が、目の前にありました。

近くのおばあちゃんが思うように動かず困っていたので、その箒や布などで家中を綺麗にしてあげました。

とても喜ばれたので、色々なトイレや家を綺麗にしました。

そんなことを20年続けながら、多くの人に過去起きた話をするようになりました。

「受験で暗記できなかったことや周りに馬鹿にされたこと」などをです。

その結果「塵垢の除去」と、周りから言われ「おもしろ話」が伝わりました。

そのおもしろ話をまとめたのが以下の通りです。

貪欲は不浄にして塵垢は不浄ならず 不浄とは貪欲の異名なり この不浄を捨てしかの比丘衆は 不浄を離れし教えに住す 怒りは不浄にして塵垢は不浄ならう 不浄とは怒りの異名なり 愚痴は不浄にして塵垢は不浄ならず 不浄をすてしかの比丘衆は 不浄を離れし教えに住す

ぱんちゃんは、掃除を通していつのまにか「暗記」もできるようになり「貴方に歓喜の心を表した」のでした。

そしてときは現代「レレレのおじさん(周利槃特チュツーラパンタカ)」として伝わっているのでした。

こんな感じです。

で、この「レレレのおじさん」のおもしろ話の一つに「茗荷」の話があります。

これは明日書いていきます。

「受験で死にたい」と思うのは、あなたに必要ないことをしているから。

「苦しさ」として教えてくれている。

与えれているものに、不必要なことは起きない。

小さい頃は、新幹線や電車の窓に顔を近づけ楽しんでいたはず。

生きるということを知っていたはず。

私から言えることは一つ。

受験の枠は決まっている。

受かる人が一定数いて、受からない人も一定数いる。

けど、現代はお金儲けの大学だから絶対の分母以上に受かる。

要するに全体の定員割れ。

そして、大学が必要な人は行くし必要なければ行かない。

暗記の受験ができなくても、箒の一本から奇跡を誰もが起こせる。

あなたの心しだい。

本当に大切なものは目に見えない。

そんなふうに思う今日なのでした。

以上最後まで読んでいただきありがとうございます。

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    ライターのプロフィール

    ブログ歴2年、脱力系アルティメットブロガーです。

    嫁に食わせてもらっていた専業主夫から這い上がり、ブログと農業で生計を立てています。

    ゆくゆくは、アシカ村を作っていき予定です。

    現在は、7つのブログを運営中。世界一のブロガー。

    この「理想屋」では、主に世界情勢やお金、奴らをまとめています。

    ここから私の物語の第2幕が始まる。

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